日々雑感 デイリーエッセイ
DAY

言いたいことは口に出して言え!



愛知万博についての『万博日記』スタートしました。


1999/04/28〜1999/07/19


1999/07/19
ペプシの悲劇?喜劇?
ペプシがスターウオーズのキャラクターグッズをプレミアムにして、大々的なキャンペーンを行っている。しかし、しかしである。どこに行っても、グッズがついたボトルがないのだ。
ボトルには、シールが貼ってあって、「アタリ」が出るとプレミアムグッズをもらえる。しかし、ほとんどが事前にめくられているのだ。実際、コンビニでシールをめくっている少年がいたし、シールも簡単にめくれてしまう。
誰がソフトウエアを考えたのか?あらかじめこういう事態を想定できなかったのか。こういうミスはめぐりめぐって、消費者に還元されてくる。


1999/07/12
タオル地のパジャマがない。
夏になると、いつも愛用しているパジャマはタオル地である。ひとつはもう10年ちかく使っていて、生地がアメリカンでいまにも破れそうだ。もうひとつはまだ3年くらい。何度も洗濯を重ねて、くたくたになった生地がとても肌触りがよい。
ところが、最近、タオル地のパジャマがどこにもないのだ。強撚糸の細い糸でつくられた、つるつるの生地のパジャマばかり。代わりにスウエットの上下が売場に並んでいる。
最近は、Tシャツ1枚とか、裸で寝る人も増えたというが、裸で汗をかいたら、すべて布団かベッドに直に吸収されているんじゃないか?汗をよく吸収するという機能をとっても、タオル地のパジャマの復活を望みたい。


1999/07/07
愛知県と名古屋市の職員にもボーナスが出た。(らしい)
どちらも巨額な赤字を抱えている自治体だ。愛知県においては、2兆5000億円といった赤字なのだ。にもかかわらず、公務員にはボーナスが出る。民間で、これだけ赤字ならボーナスどころか、給料もカットされても不思議ではない。
これだけの赤字なのに、だれも責任をとらず、給料もボーナスも支給される。これがいまの日本の限界なのだ。公務員が行政を担当することの限界なのだ。
普通の経理感覚を持ち、2兆円もの赤字に対して責任のとれる人間が、愛知県をつくっていかなければ、愛知万博どころか、いつかゴミに埋もれたスラムと化すのだ。


1999/07/06
中日新聞のコラムで電車の中で化粧をする高校生(?)のことを書いたら、反響があったそうだ。その中に、高校生の女の子から、化粧することが悪いとは思わないという反論があったことに触れていた。自分たちに注意するなら、たばこや空缶の投げ捨ても注意せよとのことだそうだ。
コラムでは、いまの若者は「恥」を知らないと書いている。高校生は、「そんなこと親も学校も教えてくれなかった」と反論する。高校生になって、いまさら「恥」を理解しろと言っても、無理かもしれない。

ジャニーズ・ファンには申し訳ないが、最近のジャニーズ、とくに若手の顔がどんどん下品になっていると思うのだが、どうだろうか。
最近始まったTVドラマの森田剛の顔を見て、驚いた。スマップやTOKIOまでなのか?ジュニアになると、その辺にいる高校生と変わらない。唯一、「品」というか雰囲気があるのは滝沢くらいではないか。
採用基準が変わったのか、養成方法が変わったのか?ジャニーズというブランドの威光だけで人気があると錯覚し、中身を作らないと、いつか追い越す者が現れると思う。


1999/07/05
名古屋市が買い物のときの包装や袋をなくす運動の一環として、工藤静香デザインの買い物袋をつくった。
自慢気にマスコミに登場した松原市長を見て、名古屋のゴミ問題は頓挫すると確信した。真ん中に大きくハートマークで「LOVE」とある袋を持って、誰が買い物に行くのか?
それよりも、なぜ工藤静香なのか。赤字でたいへんな名古屋市が、なぜいま工藤静香にデザインを依頼したのか。まったくわからない。万人が使用するものなら、無印良品みたいなシンプルなノンブランドがいいのではないのか!
役人の価値観が先行する行政が限界に来ており、巨額の赤字を計上している現在、またもや役人の発想が暴走し、工藤静香だ。30数億円もかけて平和公園にタワーをつくるなら、それだけの予算でゴミのリサイクルシステムの構築に投資したほうがどれほど将来に効果があることか!


1999/07/03
日本の若者は、世界で一番「生物学的に弱い」という記事をどこかで読んだ。確かに、いたるところで座っている。ジベタリアンだ。
夜のコンビニの前や、道路に数人がたむろして座っていると、恐怖である。座って、ものを食べている。携帯で話している。地下鉄のホームでも座っている。足腰が弱いのだろうか?
もうひとつ、若いカップルがやたらと「発情」しているのだ。我慢できないらしい。道路で抱き合い、薄暗がりでキスをする。地下鉄のなかでも抱き合っている。「発情」が抑えられない世代。
コンビニの前に座る若者の防御策をひとつ。「水」を撒いておくのだ。座られたら困るところには、水を撒いておけばいい。


1999/06/28
許せない携帯男!名古屋は救急車に道を譲らない地区として全国でも有数らしいが、それでも緊急車両が来れば、誰もがなんとか道を譲ろうとする。
ところが先日、栄付近で後ろから救急車が来た。信号待ちで3車線が埋まっていたが、少しずつ両サイドに寄って、なんとか1台が通れるスペースができた。ただ1台を除いて!そのクルマは信号待ちの交差点のいちばん先頭にいた。すべてのクルマが寄せて、なんとか救急車が進んできた。
と、その1台が邪魔をして、通れないのだ。見ると、その運転手は携帯電話で話をしていた。救急車がサイレンを何度か鳴らして、よやく気が付いたのか、ノロノロとクルマを移動した。携帯はまだ耳から離さない。結局、十分に救急車の進行を邪魔して、ちょっとだけクルマを寄せて、再び携帯に話かけていた。
ここでナンバーを明かしてやりたいほど、怒りが込み上げた。(実際、ナンバーを控えた!)許せない携帯男(中年の***に乗った大馬鹿野郎!)を取り締まる方法はないのか。


1999/06/21
最近、TVに素人がよく登場する。素人の登場は昔からあったが、素人が自分のプライベートを売り物にするようになってきた。
離婚したいカップルが、TVの中で離婚を決める。自分の彼氏、彼女が浮気をしているかどうかをTVで暴いてもらう。プライベートの切り売りだ。
筒井康隆の小説に、確か『48億の妄想』だったか、街中に仕掛けられたカメラで四六時中監視された市民の姿を描いていた。カメラの前で、市民はいつしか、演技をエスカレートさせていく。
何が真実で、何が嘘なのか。わからなくなって、見失って、やがてほんとうのことがわからない世界になっていく。


1999/06/15
トヨタがル・マンで優勝できなかった。
最近のトヨタを見ていると、やたらと車種が増えて「これがトヨタのクルマ」といったフラッグカーが見当たらない。F1進出の噂もあるが、仮にF1に進出したとしても、そこそこ優勝できるチームにはなっても、フェラーリみたいに人を感動させられるかどうか疑問だ。
車種の増加は、アップルのマックや、同じクルマ産業で言えばマツダの凋落期に似ている。販売網が強いトヨタなら、どれだけ車種を出しても売り切ることは可能だろうが、メルセデスやBMWなどのように「誰が見てもわかる」アイデンティティをもったクルマは存在しない。以前は、クラウンだったと思う。

名古屋では、堀川の浄化が市民レベルで取り組まれはじめてきた。市民グループの地道な努力の成果だと思う。
川と護岸について新しい提案をしている。コンクリートで塗り固めた護岸に代わって、水棲生物が繁殖できるように考えてみた。


1999/06/14
アメリカで身体障害者のこどもに対して、健常者とおなじように教育を受けることができるよう行政が資金援助するようにとの判決が出た。資金源をめぐって、行政サイドは難色を示しているという。アメリカ全土に何万人という身体障害者すべてに介護補助できるスタッフをつけ、学校の施設を改善するには莫大な「お金」がかかるというのだ。
しかし、それって、ユーゴへの空爆に使った予算の何分の1にあたるの?爆弾何発分?お金って使い方によっては、爆弾にもなるし、身体障害者への教育機会の提供にもなる。
振り返って、日本も、身体障害児には意外なほど教育行政は冷たいように思う。なぜか?行政サイドの役人に身体障害者がいないからだ。こういう行政現場にこそ、身体障害者の人を雇用すべきだと思う。バリアフリーとか耳障りのいい言葉を繰り返すのではなくて、身障者の人をその担当にしたほうが、はるかに有効だと思う。


1999/06/11
名古屋のローカルな話で、しかも実名を出して申し訳ないのだけれど、月に1度くらいそばが食べたくなって、「いずみ庵」に行く。同じうどん・そば処のチェーン店に「サガミ」があるが、こちらは空調の関係か、隣席でたばこを吸われるとけむりがもろに流れてくることと、店の作りが「落着かなくて」どうしても「いずみ庵」に行く。
食べる場所において、たばこの煙と、隣席との境界は大事だ。隣の声がもろに聞こえたり、境界がほとんどなかったり、たばこの煙が流れてきたりすることは、安心してものを食べることを妨げる。この点に気を配っていない店は致命的だ。
そういえば、地元ではステーキの「あさくま」が苦戦している。パートから昇進した女性社長をクビにして、経営刷新をはかるらしい。しかし、あさくまになぜいかなくなったのか、その分析をどこまでしていることやら。
ひとつには、肉を食べるには上品すぎる。最近、焼き肉がブームだけど、そこまでの手軽さ(いい意味での下品さ)がない。あさくまでステーキを食べると、服に肉やあぶらのにおいがつく。そして、もうひとつの理由は、名古屋の大学生などの間に流れている「噂」である。
あさくまでは、バイトが床に落とした肉でもそのまま客に出すだの、床を拭くぞうきんでテーブルも拭いているだのといった「噂」である。このネガティブな話は、名古屋の若い層に根強く広まっている。なぜか?確認できた理由のひとつは、あさくまのバイトのモラル管理の甘さである。上のような話が、非常にリアリティを持って、実際にバイトを経験した人間の話として伝わっている。
厨房は客から見えない。マクドナルドのように、まず手洗いをマニュアル化し、客からも頻繁に手洗いシーンが見えるようにしている店舗もある。あさくまは無防備だった。経営効率の追求が優先され、バイトのモラル管理がおざなりになっていた。それが「噂」になる。


1999/06/09
名古屋市が名古屋駅前周辺で駐車場情報システムをスタートさせた。すでに栄周辺で可動しているが、利用したことは一度もない。理由は、見難いこと。具体的な場所が分からないこと。個々の駐車場の料金や営業時間がわからないことである。
名古屋をよく知っている人間には、理解できるかもしれないが、名古屋以外から来た人間にとって、あまりにアバウトでわからない。知人に聞いてみたが、誰ひとりあのシステムを利用した者はいなかった。
むしろ、皆が望んだのは、もっと繁華街に駐車場をつくってほしいということだった。栄のNHKセンター前に変テコな公園を造るらしい。だったら、格安の駐車場にしてほしいのだ。駐車場の絶対数が不足していて、駐車違反もないものだ。ましてや、商店街の振興など無理な話。
実際、岐阜の近鉄がさびれていったのも、駐車場の問題が大きいと思う。十分な、そして格安の駐車情が確保されていれば、もっと厳しい駐車違反取り締まりをやってほしいと思う。


1999/06/07
インターネットに関わって約5年。その前にパソコン通信があり、ネットワークと関わっては、すでに10年以上になる。
ビジネス、個人含めていろいろな人と知り合えた。普通に生活していては絶対に会うことがないような人にも、ネットを通して会えた。確かにトラブルもあったが、メリットも大きい。
いまは、このインターネットを通じて、世の中に貢献したいと思う。いま進めている新しいインターフェイスや高齢者向けのネットワークマシンが、いつの日にか、日の目を見ることを祈りつつ。


1999/06/06
三重県の津市でごみ処理場の付近で営巣していたオオタカの巣が何者かによって取り除かれていた。オオタカの巣は、先日瀬戸で開かれた万博シンポジウムでも説明があったが、台風などでもびくともしないし、人間がちょっと力を加えても、ぜんぜん何ともないくらいしっかりとした作りである。
明らかに、人間の手で撤去されたことになる。知多半島でも、オオタカの巣が見つかったことで、中部国際空港の埋め立てに使用する土を採取する山の土砂採取工事が中止になった。これが人間の限界だと思う。自然との共生なんて、幻想だ。

川の治水について、昔の人は自然を活かした智恵を働かせていた。現代の川の治水は、護岸のためコンクリートで固めたものだ。
川辺の生物は住処を無くし、洪水のとき、増水は加速度的に下流に流れる。もっと、自然を活かした、生物が共存できる護岸にできないものか。


1999/06/02
連日テレビでサッチーバッシングが繰り広げられている。「下品」だ。個人に対する個人的な攻撃をマスコミを通してしか言えない人たちはとても「下品」だ。
野村夫人が、ほんとうに嘘をついていたり、誰か個人に損害を与えたのなら、それは野村夫人個人に言えばいいことだ。損害を受けたのなら、告訴すればいい。それをしないで、マスコミで言いたい放題。自分の醜態をさらしていることがわからない人たち。それを垂れ流すテレビ局。
重要な法案が衆議院を通過した。賛成した議員、反対した議員の全員の言い分をレポートするのが報道ではないのか?議員は政党に属していても、独立した存在のはず。それぞれの議員が、どれだけ法案を理解し、投票したのか。国民に知らせるのがマスコミの役割ではないか。


1999/06/01
さて、6月。名古屋の道路は相変わらず工事、工事、工事。うーん、これでも建設業界は不況?と思えるほど、道路工事が多い。
もっと効率のよい管理をすれば、道路渋滞も起こらないと思うのだけれど。


1999/05/29
昨日のニュースJAPANで立川談志家元が「品」について話していた。
この頃、品がない、あるいは「下品」なことが多すぎる。コンビニの前で座り込む若い子たち。地下鉄の中で携帯電話で話す奴。宇多田ヒカルのCDセールス枚数。視聴率にこだわったTV番組。何でも数字に換算し、順位をつける人たち。
それだけ自分の感性に自信がないのか?自分の周囲が見えないのか?自分さえよければそれでいいのか?

名古屋のTV局のCBCの女子アナが徒党を組んでCDを出すそうだ。何考えてるんだか。ニュースの原稿も満足に読めないし、発音や滑舌も悪いのに。芸能人になりたいの?アナウンサーとしてのプライドを捨てたの?


1999/05/28
東名高速の事故に、おそまつなJHの対応。仕事でクルマで東京に行った。その帰り、雨の中、浜松西ICの手前で事故があった。掛川ICをちょっと過ぎて、渋滞に巻き込まれた。
事故発生は10:30頃。ハイウエイラジオで事故発生の情報と渋滞情報が流れる。11:00頃、渋滞につかまった。4キロの渋滞ということだけが、ラジオでわかっていた。最後尾にJHの黄色のシマ模様のクルマが「渋滞」表示をしている。
結局、渋滞を抜けたのが12:30だった。1時間半かかった。その間、JHのハイウエイラジオは、同じ文句を繰り返すだけだった。1時間後も、同じ言葉(機械に登録された言葉)の繰り返し。
現場の声を反映できないものか。渋滞の最後尾と、事故現場の状況、封鎖解除の見込みなどがリアルタイムでわかっていたら。現場から責任者が携帯電話で報告すればいいと思うのだが。
そうすれば、掛川ICから1号線バイパスを使って浜松に抜ければ、1時間半も渋滞に巻き込まれることはなかった。利用者の勝手な言い分かもしれない。しかし、東名高速は有料だ。鉄道なら、到着時間を大幅にオーバーすれば特急料金の払い戻しがあるのに、高速道路にはそうした規定はない。ならば、利用者が選択できるよう、早めの情報を流してもいいのではないか。現場は雨でスタッフの人びとは必死に復旧作業をしていた。しかし、誰か現場報告をして、それをハイウエイラジオに流せば。トラックのドライバーはベテランである。状況判断できる。手前のサービスエリアで待機するなり、1号線に降りるなり、対応ができると思う。


1999/05/25
エリートの意味?長銀の粉飾決算やら、官僚の汚職やら、マスコミは彼らを「エリート」と言う。悪いことをやる人間がエリートなのか。一般庶民の上に立ち、管理していると思い込んでいる人間がエリートなのか。
銀行マンもよくエリートだと言われる。これだけの税金(公的資金)を使っておいて、なぜエリートなのか。一元的な入試制度において点数が高い人間がエリート?それだけで高い給料をもらい、世の中の善悪もわからなくなって、税金を使う企業にしてしまう。それがエリート?
こどもの頃、下関の魚市場でふぐをせっている男の集団や同じくマグロをせっている集団をかっこいいと思っていた。選ばれた証に番号のついた帽子をかぶっている。
仕事をする人間は「かっこいい」ことが大前提じゃないか。いまの公務員や銀行マンはかっこいいとは思えないよ。と、こどもの頃を思い出して、思った。


1999/05/24
長銀の粉飾決算が問題になっているけれど、誰が責任を取るのか、一般市民にとってはまったくわからない。銀行は、銀行法でさまざまな制約を受けているし、大蔵省の監査もあるはずなのに、じゃあ大蔵省のどの部署の誰が長銀の監査をやって、粉飾決算を見逃していたのだろう?
また、多額の税金を投入しているにもかかわらず、その投入を決めたのが誰かもわからない。税金をむだにしたことへの責任を誰が取るのか。あるいは、粉飾決算をした幹部(副頭取?)は、どれだけのペナルティーを受けるのか。数千億円の税金を投入して、破綻させた人たちは、自殺した人は別にして、どれだけ責任を感じているのか。


1999/05/22
不規則な生活で気をつけるようになったのは、食生活。昼がほとんど絶望的に不規則なので、夜に気を遣うようになった。野菜をなるべく食べる。スーパーのパックものだけど、おから、海草(青のりかめかぶ)、ひじき、豆類をなるべく食べるようにしている。

仕事が忙しくて、夜眠れないとき。妙に精神状態が不安定なとき。めげたとき。槙村さとるのマンガを読む。『愛のアランフェス』からはじまって、いまは『ダンシング・ゼネレーション』『N・Yバード』にはまっている。槙村作品には「前向きの品」のようなものがある。『ガラスの仮面』ほど大袈裟ではなく、しかし主人公の前向きな姿勢は、めげたときに励ましてくれる。その姿は、決して格好よいものではないけど、時代にこびることもなく、自分をひたすら信じている。
槙村作品のいちばんの特徴は、下品でないことだ。他人に迷惑をかけない。謙虚さがある。ひたむきだ。公共の場であたり構わず座り込んだり、タバコを吸ったりはしない。自分の生き方に対するプライドがある。底の浅いTVドラマを見るより、単行本で出ている槙村作品をおすすめしたい。


1999/05/21
成田空港の第二滑走路の不思議。国際線のほとんどがジャンボジェット機で、今回着工される滑走路では、ジャンボ機の発着はできないとのこと。なぜ?「まず着工ありき」になるのか。
愛知万博や静岡の空港にしても、「まず着工ありき」で計画が進められる。使われるお金は税金なのに。


1999/05/20
RVや4WD車のヘッドライトがまぶしい。普通に街中を走っていても、後ろにつかれるとかなりまぶしくて、前が見づらくなることも少なくない。
ただでさえ車高が高くて、RV車の後ろにつくと、前が見えない。後ろにつかれると、バンパーが高いし、何よりもヘッドライトがまぶしくて、事故にならないか心配である。
もともとRVや4WDは都会用ではない。しかし、普通の車と同じように街を走るならば、光軸の調整をしたり、黄色いフォグランプの使用を制限したりすることはできないのだろうか。


1999/05/19
人間の限界か?最近新聞が相次いで、カルガモのヒナが行方不明になったり、白鳥の卵が盗まれたりしたとの「明らかに人間がやった犯罪」を報じている。
愛知万博に関心をもってから、日本野鳥の会の人たちの活動やさまざまな自然保護活動を知り、その反面、上のような自然の命を軽く見る人間の行為に腹を立てている。それが「愉快犯」なのか、もっと残酷な気持ちでやったことなのかはわからない。しかし、カルガモや白鳥のヒナや卵をいとも簡単に奪うのは人間の限界なのか。
加えて、愛知万博予定地でオオタカの営巣が見つかったのだが、最近その付近をマスコミと思われるヘリコプターが低空飛行している事実が野鳥の会などで確認されている。営巣中のオオタカは敏感で、異常な音に対して、もしかしたら巣を放棄するかもしれないのだ。そうなればせっかく育っているヒナも見捨てられてしまう。野鳥の会の人たちが24時間体制で監視し、森の中に不用意に近づく人間に注意を促している努力をマスコミはここでも商業主義を優先し、オオタカの映像を獲得しようとしているのか。
同じ人間が一方で自然保護を叫び、一方でそれを簡単に破壊する。そこに優先されているのは人間のエゴではないか。
だとしたら、「環境万博」だの「自然との共生」だのをテーマとする「嘘っぱち」の万博なんていらないのだ。


1999/05/18
昨日TVで地方自治体の下水道事情についてレポートしていた。下水道設備に莫大な予算をかける自治体とそれに疑問を呈する市民との攻防を具体的に取材したものだ。
ある自治体では、役人が積算した予算で118億円かかる設備を、市民がプランにかかわったことで20億円程度で実現できるようになったことを紹介していた。
地方公務員の人たち、国家公務員もそうであるが、あまりにコスト意識が薄いように思う。はじめに予算ありき。ゼロからの査定や、コスト効率はほとんど無視されていることもある。
解決策はあるか?ひとつには公務員の民間派遣(3年くらい)による民間企業での研修。もうひとつは30代の民間企業経験者の中途採用である。


1999/05/17
ユーゴ問題に平和を機能できない国連の限界。
アメリカが国連よりもNATOを優先して、武力制圧をかけたことは、戦後50年以上を経て、そろそろ「戦後の枠組み」では世界を収められなくなってきていることの証明ではないか。
人間はなぜ戦争をするのか?国家はなぜ戦争をするのか?テクノロジーと人間の関係や、哲学の役割を改めて見直すときなのかもしれない。
アメリカが「正義」の拠り所とする「人権抑圧」や「大量破壊兵器の拡散」「国境の維持」といった戦後の枠組みの「大義名分」もそろそろ怪しくなってきた。これらの「正義」を守るアメリカが大量破壊兵器を所持し、依然として国内に人種差別が存在している状況で、説得力に乏しいのは明白だ。
日本は特殊な国であると思う。政治が薄く、経済が突出し、宗教が寛容に乱立する特殊な国だ。その寛容さを武器に世界平和に貢献するのもひとつの選択肢だと思う。


1999/05/15
高校生は字が読めない!名古屋の某高校。校門の近くに、最近始まった名古屋の分別ゴミ収集のための「空びん専用ラック」が置かれていた。ラックには赤い字で「空きビン」と書いてある。
下校する高校生がそのラックに無造作に空きカンを入れた。ポイっと入れた。そしてそのまま歩いていった。
ちょうどそこを歩いていたお年寄りがそれを見て、何か言いたげにいたが、黙ってその缶を取り出し、持ち帰ってくれた。おばあちゃん、ありがとう。それにしても、この高校の周囲には無造作に空缶が投げ捨てられていることが多い。名古屋では分別ゴミ収集が始まったばかり。「日本語がわからない高校生」のために何語で教えたらいいのだろう。


1999/05/13
海上の森にオオタカの営巣が発見された。愛知万博にとって、大きな試練であるとマスコミ(中日新聞)が報じている。
神田・愛知県知事は慎重な発言をしているが、万博の基本計画を見直すことはないと思う。そこが行政の最大の弱点だ。万博協会の担当は愛知県と通産省から派遣された公務員の集まりである。その優秀さは、世界に誇れる。しかし、融通のきかなさもまた世界有数である。
愛知県が世界の「環境保護」「自然保護」の動きをリードするのなら、思い切って「見直す」ことだ。来年6月に万博の大筋は決定される。まだ、1年ある。優秀な官僚の集団=万博協会なら、1年で修正ができるはずだ。


1999/05/11
援助交際よりも性病が怖いいまどきの高校生。昨日の『トウナイト2』でコギャルの意識レポートをやっていた。ちょっと前までは、援助交際に興味の中心があったように思うが、今回はコギャルたちの性病に対するあまりに軽く、無防備な意識をレポートしていた。
かねがね「援助交際」というマスコミ造語には疑問があった。なぜ「売春」と言わないのか。「援助」などというあいまいで耳障りのよいことばにするから、抵抗感が薄くなる。「売春」でいいではないか。
ところで、番組でもレポートされていたが、コギャルたちの性病への無知、無警戒ぶりには驚いたが、自分が性病にかかっている自覚があるにもかかわらず病院にいかないことや、相手にうつしても平気な態度をとっていることに、かなり腹が立った。
自分を大切にできない悲しさは、そのまま相手を大切にしない哀れさに通じ、自分や相手を「大切にする」「大切にされる」感情の経験がないから、性的な快感至上主義にはまる。あるいは金銭至上主義に陥る。
性病にかかっていても「いまが気持ちよければいいじゃん」と言わしめる世の中は、いつか彼女たち(彼ら)に逆襲すると思う。異性と性的な交渉以外にコミュニケーションの手段を持たず、性的な快感にしか「自分の証」がない世代。日本は豊かすぎるのか?


1999/05/09
地元・中京大学のキャンパスが全館禁煙になった。禁煙なんて、あたりまえだと思っていたら、最近の大学キャンパスはすいがらがいたるところに捨ててある。マナーもへったくれもない。
大学というよりも、「学び舎」で喫煙することが信じられない。ところが、いまの学生にとっては、あたりまえのことで、すいがらのポイ捨ても気にならないらしい。
キャンパスに限らず、若い世代の喫煙態度が気になる。ファミレスなど食事の場でも平気で(周囲を気にせずに)タバコに火をつけるし、歩行タバコも頻繁に見かける。もちろん、ポイ捨てだ。
喫煙を否定するつもりはないが、喫煙マナーを守れない人間は許せない。喫煙時に周囲を見ることができない人間も許せない。
さて、全館(建物内)が禁煙となった中京大学。果たしてキャンパスのすいがらは減るか??


1999/05/08
私学助成金のこと。愛知県では、財政赤字から、私学助成金がカットされるようで、私立の学校関係者を中心に反対運動が起こっている。
これって、つまるところ「税金」の使い道なんだけど、いまの大学生って本当に勉強しているのだろうか?個人的な見方なのだけど、少なくとも知っている限りの大学生は、バイトとレジャーに明け暮れている。無知だ。専門的な知識がほとんどない。バイトと合コンの日々・・・。
中には、まじめに実験に取り組む理系の学生もいる。勉強やボランティア活動に汗流す学生もいる。しかし、大半は大学を就職までのモラトリアムと認識しているし、遊びがすべてに優先された4年間ではないか?誰か、反論あるだろうか。
だとしたら、助成金をカットされるのもしかたがないのではないか。あるいは、まじめに取り組んでいる学生の数に比例した助成金の交付も有効ではないか。

最近、購読しているマンガの連載に、ビッグコミックの水木しげる『カランコロン漂白記』がある。『ゲゲゲの鬼太郎』の作者・水木しげるさんの戦争体験随筆コミックだ。
氏の戦争観がとてもおもしろく、日本軍という不思議な暴力装置の中で、実に人間臭い、ときに弱く、ときに強い日本人が独特のタッチで描かれている。
以前、何かのエッセイで日本軍は常に「ビンタ」をはられていて、それも理由もなく、日常的に「ビンタ」され、それによって受けた側の中にある種のフラストレーションがたまり、戦闘時に一気に解放されてあのような暴力的な戦争ができたんじゃないかという意見があった。
その対局にあるのが、水木氏のマンガである。ご一読あれ。


1999/05/07
長銀の元副頭取の人が自殺した。東大卒のエリートだった。
粉飾決算絡みで地検から事情聴取を受けていたとのこと。精神的なプレッシャーからの自殺らしい。遺族の人たちには申し訳ないけど、「死ねばいいの?」と言いたい。あなたがやってきたことって、それだけのものだったのかって、改めて問いたい。
最近の事件は、金絡みが多い。しかも銀行だの、商社だの、政治家だの、社会的に地位なり名誉なりが多分にある人たちが起こした事件だ。そして、一様に「東大卒」の肩書きがある。東京大学は、「社会正義」を教えないところなのか?否、自分が「罪」を犯したとき、償うことより、そこから逃げ出す=自殺を「正しいこと」と教えているのか。
諸々の解決を「死をもって為す」ことが美学のようにとらえられることは、少なくともいまのこどもたちに影響を与えていると思う。悪いことをやって、それがバレたら、「死」をもって「無」にすればいいと。


1999/05/06
愛知万博のゆくえ?オオタカの巣が発見されたことで、急な展開を見せてきた愛知万博。神田知事も、そろそろ前知事の大型「箱物」優先県政から脱却してもよいのでは。
オオタカが住んでいるから変更するという動機は、前向きではないと思う。もっと、愛知万博のテーマやコンセプトがしっかりしていれば、「海上の森」を会場にすること自体が県民の議論の対象になってしかるべきなのに。
瀬戸市の市長も、市会議員も「万博推進派」が当選した。なぜか?瀬戸市に「お金」が落ちるからである。本当か?長野オリンピックの例は検証したのか。確かに巨額のお金が落ちた。その後に「巨額の負債」が残った。万博で瀬戸を世界に知ってもらい、瀬戸物を世界に売ろう!と選挙で叫ばれた。そんなことを叫ぶ前に、いまの不況対策はどうなってるの?
あなたたち市会議員さんや市長さんは、万博に頼らない「地域振興プラン」は持っていないの?中小企業振興や地場産業振興の具体的なプランさえ示せなくて、万博に頼ろうとするなんて、ちょっとおかしくないですか?
瀬戸の瀬戸物やセラミック産業は、もっと発展するポテンシャルをもっていると思う。セラミックの自動車エンジンでも開発してみたら?割れない、軽い瀬戸物ってできないのですか?瀬戸物の技術で「家」は建たないの?万博や新住宅事業と、瀬戸物振興は違うはずなのに・・・。
ちなみに、新住宅事業の建設エリアは、「海上の森」という貴重な自然資源だけでなく、活断層に近いところに建築されることをいつ発表するのか。いろいろな産業を誘致するとプランされているけれど、具体策は一切公表されていないし、民間企業ではあたりまえのマーケティングもなされていない。
別に、愛知県にケチをつけるわけではなくて、具体案や事実を県民にわかりやすく公表してほしいと言っているだけである。


1999/05/04
忘れない努力。インターネットをやっていると、「お気に入り」のHPに出会ったとき、ブックマークすれば簡単にメモリーできる。携帯電話もメモリーの件数が300件とか500件とかに広がって、出会ったその場で記録することが可能になった。
記録することと、記憶することは違う。記憶するには、それなりの努力が必要だ。人と人の出会いは、時として奇跡を呼ぶ。普通に生活していたら絶対に出会うことがなかった人に出会えるのが、インターネットだと思う。その出会いを、時間に重ねて、記憶していけるかどうか。
そんな「記憶に残る」出会いができるといいと思う。


1999/04/30
法律の不思議。憲法にしろ、民法や刑法にしろ、文章が難しい。しかも、国の基本法である憲法からして、いろいろな「解釈」がある。これは変だ。
国民が守るべき法律なのに、複数の解釈ができたり、その法律の条文を読んでもわからないのでは、本当の「法」と言えるのか。少なくとも、義務教育を終了した段階での知識で、十分解釈でき、理解できる文体であり、中身でなければならないと思う。
国や行政は、あるいは警察は、法律を守れ!と言う。しかし、守るべきは何なのか?『六法全書』を読んでも、よくわからない。


1999/04/29
みどりの日。
チャイルドシート業界が、義務化法案が可決されたことで、好景気なんだそうな。しかし、HINTBOXの中でも問題にしているけど、規格もあいまいだし、だいいちクルマに標準装備されていないことがおかしい。
リアシートが可変式で、アームレストみたいにこどもが座るのに調整ができるようになっていて、シートベルトも締められるようになっているべきではないのか。同じことが、クルマを運転しながらの携帯電話の使用の禁止にも言える。
携帯電話は、緊急のときに連絡がとれてこそ、その「携帯性=コードレス性」がある。クルマを運転しているときこそ、緊急の連絡が受けられるようになっていてほしいのだ。技術的には可能なはず。トヨタやデンソーの技術をもってすれば、音声応答で、運転に支障なく会話ができるシステムなんて簡単にできるはずなのに。
どうも、法律とか規制とかには、利権が絡み、人間本来の生活があまり重視されていないように思える。こどもに安全なクルマ空間なら、後部座席をエアクッションで囲んめばいいじゃないか?


1999/04/28
地下鉄東山線。星が丘から某女子高校の集団が大挙して乗り込んできた。
6人。電車が動きはじめると、すぐにその場で靴下と脱ぎはじめた。大声で話しながら、ルーズソックスに履き替える。この女子校は名門で、名古屋では比較的「しつけがきびしいお嬢様高校」として有名である。
とんでもない!公共の場で靴下を履き替えるお嬢様なんていないよ。羞恥心がない。周囲が見えない。本人たちは、公共の場で「着替える」ことを恥ずかしいとは思ってはいない。
名古屋の地下鉄は、だんだん無法地帯になってきている。ホームにぐるり輪になって、座り込むなんてあたりまえ。電車の中での携帯電話の使用も、相変わらずのウオークマンのチャカチャカも、彼らは気づいていない。
誰か、調べてみませんか?いつから彼らが羞恥心をなくしたのか。いつから「ムカツク」といって環境に順応することを拒否して、逃げるようになったのか。
「紙オムツ」からじゃないかと思うのだけど、確証がない。昔は、布のオムツで、おしっこやうんちをすれば、お尻が気持ち悪くて、気持ち悪さに「泣く」ことを覚えた。「紙オムツ」は気持ち悪さがない。我慢することも、気持ち悪さを味わうことも、それを訴えることも。
「気持ち悪い」状況が理解できないと、そういう状況に身をおけば「逃げる」しかない。「ムカツク」とか「キレル」とか便利な言葉で、そこから逃げる。人間の感情形成にいちばん大切な幼児期に、都合の良い環境ばかりを与えられたことで、気持ち悪い環境への適応ができないこどもたち。
その感情がないこどもたちに、「地下鉄の中で靴下を履き替えるな」と言っても、その意味は理解できないと思う。



DAY(2)



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