| 言いたいことは口に出して言え! |
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2000/05/08 17歳の残虐な殺人事件が続いた。 マスコミはこぞって、教育に問題があっただの、いじめがあっただのと「ワイドショー」化している。 気になるのは、どちらも「親」の存在が希薄なことだ。自分が親だったら、まず被害者の方にお詫びをするし、葬儀に参列して線香をあげるだろう。 バスジャックの犯人の親が「説得の自信がない」との理由で現場での説得を拒否した。この親にして、この子ありって感じだ。なぜ、いのちを張って説得しない。自分だったら、刺し違えてでも、自分のこどもの犯罪に立ち向かうと思う。 こどもが凶悪な犯罪を起こしたとき、親が隠れる傾向が出てきたのは、神戸のサカキバラ事件くらいからか?いまだに被害者に線香の1本もあげていないというが、どういう神経なのか理解できない。 最近の風潮で気になるのは、こどもを甘やかす大人が増えたことだ。まず、叱らない。マナーが悪くても注意しない。 うちの近くの高校生も、制服のまま、歩きながらタバコを吸っているし、うちのアパートの階段に長時間座って、ジュースの空缶やらをそのままにしていく。もちろん、気がついたときは注意しているが、効果がない。 悪いことをやったら、その場で叱る。ぶん殴る親がいなくなった。やたらとこどもに媚びる。マスコミもそうだ。悪いことをやったこどもに、逆に同情し、イジメがあったからだの、家庭環境が悪かっただの、理屈をつける。 いちばんひどいのが人権擁護を持ち出す人たちだ。犯罪は犯罪で、罰するべきではないか。人殺しをして、なぜ2年余りで世間に出られるのか。なぜ、被害者の氏名や顔写真は公表され、犯罪者のそれは守られるのか。 人権擁護の人たちは「いつか更正して・・・」と言う。だったら、自分がその犯罪者がきちんと更正するまで責任をとりなさいよ。少年犯罪で刑務所に入って、出所して、再び犯罪を起こす少年の割合は大きいことをどう思っているのか。何より、被害者のことを考えているのか。 いまの日本人は「人間力」がいちじるしく低下しているような気がする。基本的な生きるためのルールがわかっていない。 わからない人間を、ぶん殴る勇気がほしい。 2000/04/18 小沢一郎さんのことを書く。 田中角栄以来、きちんと「政策論争」ができる政治家は?と問われて、迷わず「小沢一郎」と答えてきた。 それにしても、人付き合いがヘタな人だ。仲間がみんな離れていく。田中角栄氏には、「NO」が言える人が周囲にいたと思う。あるいは、「情」を持った人も。小沢の周囲には、いない。だから、いつも人間関係が壊れる。 今回の小渕首相入院事件を見ていて、政治家はなんて「自分のためにしか動かない」人種なんだろうと思った。自分のため、選挙のため。あるいは、「党」を守るため。 BBSにも書いたが、森首相が選ばれた首相選挙で、小沢氏に「17票」と議長が読み上げたとき、自民党議員の中から笑いが起こったそうだ。 これを聞いたとき、自民党はダメだと思った。ここまで腐っているとは! 日本人ってここまで「馬鹿」なんだろうか。政治にたかり、政治に無関心で、いつまでも過去のしがらみにしがみつく。 そりゃ、生活するのがいちばんだし、その生活を守ってくれる(?)自民党を選ぶのはあたりまえかもしれない。しかし、645兆円の借金を返すのは、これからの世代じゃないか。いちばん選挙に行かない世代が返していくんだよ! 自民党を否定するわけでも、政策のない民主党を支持するわけでもないが、21世紀の日本のビジョンを描き切ってくれる政治家がいない不幸を、なぜ日本人が我慢できるのかが不思議でならない。 2000/04/06 先週、うちのアパートの前で火事があった。ミニバイクが燃えたのだ。 午後11時過ぎ、テレビを見ていたら(小渕さんが倒れたらしいというニュースが流れていた)外でポンポンと花火のような音。前の公園でときどき若いやつが花火をやっているので今回もそれかと思った。 しかし、またポンポンと音がする。おかしいと思って表と見たら、ミニバイクが燃えているではないか!見物している若者が2人。聞くと、消防には「119番」したとのこと。しかし、しかし、何もしないでぼぉ〜っと立っているのだ。 とりあえずアパートの消火器を持ってきて、消火にあたるも、ガソリンに火がついていて、なかなか消えない。消火器2本を使い果たし、次に周囲の自転車を火から離した。若い2人は何も手伝わない。見ているだけ。 2分くらいしたら、消防車が来た。火はすぐに鎮火。 火がついたのはミニバイクと、その隣の自転車のみ。だが、民家がすぐ後ろにあって、天井まで黒いススが昇っていた。民家の人は消防車のサイレンでようやく起きてきた。 サイレンを聞きつけて、野次馬が20人くらい。警察も来た。 あとで新聞でわかったが、自転車置き場で若者(中学生か高校生くらい)3人がミニバイクからガソリンを抜こうとして、引火。そのまま別のミニバイクに3人乗って逃げたらしい。 その後、少年がつかまった記事は載っていない。もし、もっと遅い時間で目撃者がいなくて、民家に延焼していたら、殺人事件になっていた。そのまま逃げた若者3人の責任を追及したい。大馬鹿ものだ! それにしても、ぼぉ〜っと見ているだけで、何もできない若者。野次馬。これは情けないぞ! あれだけ騒いでいても、他に誰も消火器をもって出てこなかった。近くにマンションとかけっこうあるのに。無関心。それとも消火器のある場所を知らないのか? 2000/04/05 久々の更新。 小渕さんが倒れて、内閣が変わった。ほんとうに変わった? 相変わらず「政策なし」の国会。そのいちばんが「保守党」なる集団の自由党からの分離劇。これって単に「選挙で当選するか、しないか」で決めたこと。彼らの口から政策はひとつも聞かれなかった。 こんな政治家を当選させてはいけない。確かに自由党の小沢さんは強引で「おおかみ中年」とさへ言われるくらい「連立解消」を使いすぎた。別に小沢支持ではないけど、彼の政策中心の政治活動は評価できると思う。 それに比べて、政策のない、選挙ばかりに目を向けた「保守党」のみなさん。今度は落ちますよ! 2000/02/24 3年ぶりに新幹線に乗った。普段はほとんど毎週のようにクルマで東京に行く。 確かに早い。時間に正確であり、ビジネスには役に立つ乗り物だと実感した。しかし、やはり嫌な思いをした。 頻繁に携帯の呼び出し音が鳴るのだ。それも同じ人が何度も。かなりの音量で、先頭から後ろのほうまで響く。 なぜ「サイレントバイブ」にできないんだろう。しかも、デッキでも大きな声で話、ドアを通して声が聞こえてくる。新幹線で移動中も電話をしないといけないほどの人物には見えないんだけど、それは偏見か? 車内放送で「携帯電話の使用はデッキで」と言っている。ついでなら「サイレントバイブで」と加えてほしい。 『リサイクルしてはいけない』という本が出版された。芝浦工業大学の武田教授が書いたものだ。 ペットボトルのリサイクルをすると、余分なコストがかかり、逆に資源を消費してしまうということを科学的に分析し、紹介している。 こういう見方もあることを知ってほしい1冊だ。 2000/02/02 誰も指摘しないから、ここに書く。名古屋の話題を2つ。 ひとつは1兆5000億円の赤字を抱える名古屋が、栄に莫大な予算で建設している公園。以前キャッツシアターがあったところだ。 潤沢な予算があるときならまだしも、赤字に悩み、福祉の切り捨てなどが行われようとしているときに「空中庭園」などとバブリーな公園などいらないのだ。 いまなら間に合う。即刻工事を中止して、平面のバスターミナルと、芝生の公園でいいではないか。 もうひとつ。栄の地下街に毎日のように出没するホストの客引き。 地下への出入り口に数人が固まり、ときにジベタリアンのように座り込み、携帯で何かを話している。女子高生や若い女性を見つけるや、何やら声をかけている。 その容姿の「醜さ」と存在の「不快さ」はなんとかならないか。職業に貴賎はなく、ホストを否定するわけではない。しかし、彼らの容姿を存在は、やはり「醜悪」である。 2000/02/01 国会は税金の無駄遣い。 議員定数削減に反対する野党も代案はなく、説得力に欠ける。またしても永田町だけの「言葉」が先行している。国民にわかる「言葉」で説明してほしい。代案をきちんと出して、与党案とどちらを選ぶのか、国民に問えばいいではないか。 政治家は「伝える努力」を怠っている。選挙のときだけ、必死になって、普段は永田町の「言葉」を使う。そういう時代ではないのだ。自分の言葉で、政策を語れない政治家は、もう要らない。 2000/01/20 阪神大震災のとき、ニフティに入っていて、パソコン通信のすごさと、情報の管理の大切さを痛感した。 自分は愛知県でのほほんとして、震災の報道を連日テレビで見ていただけなのだ。言いようのないもどかしさを感じながら、ひたすら募金をしていた。ニフティでも2度募金をした記憶がある。 そのときに思ったこと。 携帯電話もしくはPHSの移動式中継基地(つまり自動車)と携帯端末の無料貸し出しのシステムが欲しい。 移動式の手術可能な設備が整った医療システムがほしい。同時に組み立て式のお風呂またはシャワー施設。 NTTの災害伝言システムよりも、インターネットに災害の被災者の名簿、消息をかき込んでリアルタイムでアップできるシステムがほしい。 海外ボランティアの情報の一元化とリアルタイム翻訳のできるシステムがほしい。 以上があの震災を遠くから見ていた者の感じたことである。行政に頼らず、民間企業が地域貢献の一環として、地域ごとにこのような設備を整備できないかと思っている。 2000/01/05 誕生日なのだ。 2000年を迎えて、日本や世界が失ったものを考えている。 日本人が失ったもの。それは「直観力」と「想像力」ではないか。こういうことをしたらどうなるかを想像する力。過度の暴力を振るえば死んでしまうかもしれないという想像力。バケツでウランを扱えば臨界になるであろう想像力。赤字国債を乱発すればいつか借金が破綻するだろうという想像力。 そして、そうなったときの、マニュアルに頼らない直観力。何が正しくて、何が悪いのか。それを判断できる力。情報を隠せば、いつかほころびが被害を大きくするという判断の力。その瞬間に行動できる力。 マニュアル教育では養えない人間の根源の力である。教育が取り戻したいもの。社会が取り戻したいもの。「直観」と「イマジネーション」なのだ。 2000/01/01 今年はいままでやってきたことを「実現」する年にしたい。 地球が失ったもの。人類が失ったもの。日本人が失ったもの。少しでも、取り返したい。そのためのメディアを作る。ネットワークを作りたいと思う。 その一点に、がんばることができる。未来に対する圧倒的な直観とイマジネーション。それが正しいと言える自信。 正しいと思うことを実行する勇気を持ち続けたい。 1999/12/21 いよいよカウントダウンの1999年。1000年代と1900年代の総括をどれだけ人類ができるか? 文明の発達の度合いの差による侵略と戦争。科学の発達によるボーダーレス化。国家を超えた宗教とメディア。民族の再確認。個人の拡散。 2000年こそ乗り越えたい課題は、言語と文化による偏見。科学の暴走による生命の危機。地球の汚染。そして、人類の脆弱性の拡大。 昨日、いま開発しているインターネットのインターフェイスがはじめて開発マシンを離れて、スタントアロンのデスクトップで動作した。 9日に書いたことが、一歩実現に近づいた瞬間だ。 1999/12/09 孤独だ。新しいことをやるのがこんなにも孤独だったとは。 ここのHPにもときどき書いているけど、インターネットに特化したまったく新しいインターフェイスの開発をやっている。一応LINUXベースで。 これが実現すると、というかフレームベースではすでに動作確認の段階なんだけど、いろいろなことができる。 1。スイッチを入れるだけでネットにつながる。 2。完全キーボードレスな高齢者向けのインターネット 3。携帯端末とのジョイントによる多言語変換 4。ホームサーバ などである。商品化するのに、資金が必要でいろいろなところにプレゼンに行っているのだが、これが苦労の連続。 ほとんどの人が「どこかで実績をつくってから」という断り文句の定番を言う。 いままであったものの延長だったら、話もしやすい。まったく新しいものを第三者に理解してもらうには猛烈なエネルギーがいるのだ。 街が汚い。とくにコンビニの周辺と駅の周辺と道路が汚れている。タバコの吸い殻や空缶、食べ物の残り、紙屑・・・。いたるところに投げ捨てられている。 これでは、街を愛せない。愛着のない街には、人の意志が生まれない。 1999/12/01 日本の借金が500兆円を超える。 日本の総資産が1200兆円とも1400兆円ともいわれているが、年度ごとの予算が80兆円程度だとすれば、この借金は異常だ。誰もその異常性を問わないことも、もっと異常だ。 500兆円といえば、日本人(1億2000万人)1人が417万円の借金を背負っていることになる。老人も、いま生まれたばかりの赤ん坊も。「そんなの、いやだ!」と誰も言わないことの不思議さ。 価値観の異常さを示す事件が続発した。ライフスペースなる異常。「お受験」なる異常。果ては殺人まで引き起こした。 きのうも「法の華」なる宗教法人に強制捜査が入った。多額のお金を騙し取られた人々が多くなったかららしい。しかし、足の裏を見られて、200万円ものお金を払うセミナーなるものを開催する団体が「宗教」なのか。福永なる人物は1泊50万円の高級ホテルに住んでいる。 その異常さに気づかないのか。宗教は人間の前向きな幸福を「祈る」精神活動だと思う。それを信仰すれば「お金がもうかる」団体ではないのだ。その異常に気づかなくなってしまったいまの日本。 1999/11/30 インターネットにかかわって3年。その前のパソコン通信からだと10年。 いま、インターネットの新しいインターフェイスを開発しているけれど、その開発に明確なコンセプトを持っているのでここに紹介しておく。 ひとつは、「インターネットはローカルエリアで制御されるべきである」ということ。ワールド・ワイドになり、ボーダーレスが進めば進むほど、個人でのコントロール(それはモラルであったり、セキュリティーであったりする)やコンテンツレベル、プロバイダーレベルなどでのさまざまなコントロールが必要になってくる。 もうひとつは、「インターネットはインターフェイスである」という考え方。パソコンという枠を抜け出すことと、もうひとつは人間対人間の「壁」をなくすためのインターフェイスである。 インターネットはこれからもどんどん複雑化し、便利になり、パーソナル化する。しかし、それよりも言語の壁や民族、文化の壁を乗り越えられるシステムに進化してほしいと思う。 この2つのコンセプトに従い、誰もが簡単にインターネットを使えるインターフェイスを開発している。 1999/11/04 この国の根っこが見えない。 大学で国際政治学を学んだ。それだけの知識しかないが、いまの日本に「根っこ」がなくなりかけていることだけはわかる。 明治維新の前、吉田松陰たちがつくった思想をもとに、西郷隆盛がそれまでのシステムを壊し、大久保利通たちが新しい国のシステムをつくっていった。 戦後、GHQが示した欧米流の民主主義にのとった平和憲法をベースに、吉田茂以下多くの政治家たちが、戦後の日本をつくっていった。 いま、平成11年=西暦1999年。日本には、これから100年の日本を示す明確な思想がない。小渕内閣しかり、そして自由党の小沢一郎代議士しかり。 たとえば、自由党の「日本再興のシナリオ」を読んだ方がいるだろうか?そこに示されている政治プランは、まったく正しい。間違っていない。しかし、なぜ一般国民に受け入れられないのか。それはベースとなる思想がないからだ。 田中角栄が首相のとき、「内に福祉、外に平和」と非常にわかりやすいコンセプトを示した。 それがベースとなり中国との国交回復、列島改造論などへと発展した。ただし、利権・金権体質という悪い面だけが後世に受け継がれたのだが。 21世紀。日本はどうなるのだろう。このまま「欲望が解放されたアジアの楽園」となるんだろうか。 1999/11/02 国会討論の無意味さ。 ひとつ提案。国会議員の給料を5億円とする。それですべてのことを賄う。秘書も事務所運営も。そのかわり企業献金は一切禁止し、1円でも受けた場合は議員辞職および公民権の剥奪。 国会議員は独立した存在である。立法機関である国会で、法律を作ることが仕事なのだ。議員ひとりひとりに別途に5億円を支給する。そうすれば、金集めのうまい人間が派閥をつくることはない。 国会議員500人とすれば、2500億円である。いまの国会システムに流れる不正なお金や企業献金、それにぶら下がる利権を考えれば、安いものだ。 マスコミおよびジャーナリズムは、個々の議員が任期中に、どれだけの法案を提出して、立法に携わったのか詳細にレポートすべきである。法案提出もできない無能議員は、任期途中でも減俸、クビにできるようにする。 野党である民主党に望むこと。 まず、憲法に対する明確な解釈とスタンスを示せ。 国の財政政策の代案を示せ。とくに地方財政(地方交付金)と赤字の解消プラン。 国防および外交政策に関して、明確なスタンスを示せ。 福祉および教育政策に関して、具体的なプランを示せ。 代案なき与党攻撃は税金の無駄遣いである。 1999/10/25 雑感のその2。 名古屋には「4M」と呼ばれるデパートがある。松坂屋、丸栄、三越、名鉄である。そこに来年から高島屋が参入してくる。 名古屋のデパートは低迷している。売上げも経常利益も減収とのこと。さらにそこに新規参入となる。マーケッティングをちゃんとやっているのか? ちょっと前に某デパートのイベント関係の人と話をする機会があった。4Mでは、10年一日のごとく「フランス・フェア」だの「北海道名産展」だのをやっている。そのことに異議を唱え、別の切り口のイベント案をいくつか示したのだ。 結果は、ひとことで否定された。理由は、「フランス展をやれば、一定の売上げが見込めるから」「北海道物産展も同様」とのこと。しかし、それで顧客の数が増えているのか?売上げが増えているのか?答えは「否」である。新規の顧客を開拓するという発想がデパートマンにはまったくなかった。あまりに保守的。あまりに現状維持の発想。 4Mのひとつ丸栄が大幅なリニューアルをした。婦人服売場を35%増やし、若い子向けのテナントを入れた。オープン日には「カリスマ店員」を東京から呼び寄せた。 これってきちんとしたマーケッティングの結果なのか?パルコとの競合はどこまで計算したのか?さらに、流動的な「10代マーケット」への対応は非常にリスクがあるし、ルーチンなリニューアルが必要なことを計算しているのか? 中部テレメッセージの二の舞にならないことを祈りたい。 1999/10/25 ソフトエラーだったので、久々の更新です。 まず、西村議員問題。この問題については、2点の検討事項が含まれている。 @日本は「核武装」すべきか、否か。といった発言。 A「強姦」などといった表現上の問題。 まず、日本が「核武装」すべきか、否か。について、週刊プレイボーイ誌上で西村議員は「核武装しろ」とは発言していない。それを国会で議論しろと言っている。この発言が、マスコミを通すと、なぜか「核武装しろ」と言ったことになっている。 日本には「非核三原則」がある。冷戦構造にあって、唯一の被爆国である日本が世界に向けて宣言した、当時としては卓越した「核放棄宣言」である。その宣言は、現在も継続されている。 ところが、冷戦構造が崩壊し、核はどんどん拡散していった。インド、パキスタン、台湾そして北朝鮮。あきらかに世界の軍事バランス、政治バランスが変化した。それを踏まえて、西村議員は、新たな世界バランスの現実に立って、「核」を検討しろと発言したのである。 世界の中で、「専守防衛」を掲げ、侵略行為を否定した「日本国憲法」は秀逸である。これは、間違いない。 しかし、世界の現実認識は、これと乖離している。アジアのほとんどの国は日本の自衛隊を「軍隊」と認識し、世界第3位くらいの軍事力と評価する国もある。この現実を踏まえて、日本のポジションを改めて認識したい。 日本は、戦後、アメリカとの安全保障体制の中、アメリカの核の傘の下で経済行為に専念することで驚異的な経済復興を遂げた。最近、アメリカのレポートで戦後に沖縄に核が持ち込まれていたことが明らかになった。それが世界の現実である。 日本は、常に「現実」から目をそむけ、「たてまえ」で「軍隊は持たない」「核は持たない」と主張してきた。そのひとつのより所は「広島・長崎」である。 広島・長崎を原体験として、「非核」の世界平和、軍隊に頼らない世界構造を訴えることは、間違いないことだと思う。 しかし、西村議員が「強姦」をたとえにして説明したように集団的自衛や核抑止の発想も、同じく否定できないのではないか。現代国際情勢の、きわめて現実的な認識に基づけば、「核による抑止」をなぜ国会で議論してはいけないのか。議論して、あらためて現代情勢に即した「21世紀版 非核三原則」を世界にむけてアピールすればようにではないか。 あまりに感情的に、「核はダメ」を繰り返す野党議員こそ、この人たちに国会を任せていいんだろうかと不安になってしまう。 もうひとつの「強姦」表現問題。 これは、表現方法の問題であって、あまりに下品な表現を使ったことを、即座に謝るべきだと思う。 ただ、強姦をたとえに説明した「抑止」「集団的自衛権」のことは、その内容は間違ってはいない。そこのとことが、西村発言はすべてダメとレッテルを貼ったマスコミや野党議員に疑問が残る。 そして、これを掲載したのは「週刊プレイボーイ」である。当然、事前に編集長がチェックしているはずだ。西村発言が女性を侮辱しているのであれば、編集者が判断して、訂正させるべきであった。なのに、今回、編集者はなんら責任をとっていない。これはおかしい。 そして、女性議員たち。「彼はいつもああいう下品な発言をしていた」と言う。だったら、なぜその場で問題にしないのか。マスコミが騒いだから、突然尻馬に乗る。いつもそうだ。 男性議員の下品な発言がダメであるなら、議員倫理規定を提案すればいい。なぜ、きゃんきゃんと感情的に騒ぐことしかできないのか。あなたたちは、「立法権」を持った国会議員じゃないのか? マスコミに乗って騒ぐ前に、倫理規定なり、法案なりの提案を持って、マスコミに登場してほしい。 1999/09/20 病院の「色革命」の提案。 以前入院したとき、病室の無機質さが気になった。日常生活の「色」がまったくないのだ。 アメリカあたりで最近定着してきた「カラーセラピー」を病室にもぜひ導入してほしいと思う。暖かい色や緑(植物)の導入である。 インドの医学体系に「アーユルベーダ」というものがある。これによると、人間の性格には「色」が対応している。体や内蔵にも「色」がある。例えば肝臓が悪い人は、肝臓の色が(仮に)黄色だとすると、黄色の食べ物を食べると治癒が早くなるというのだ。黄色い部屋にいると、肝臓病の患者の回復が早くなる。色が内蔵にシンクロして、治癒力を高めるという発想だ。 科学的な根拠がどの程度あるのかわからない。しかし、病室に「色」を取り入れることは、おもしろい試みだと思う。 1999/09/10 商店街の活性化に高齢者と単身赴任のサラリーマンを活用する。 高齢者のための「いわゆる溜まり場」を商店街に設置したらどうかというアイデアをBBSに書いたが、それをさらに発展させてみた。 地元のナフコが営業時間を延長して、夜遅くまでやっているが、8時を過ぎると、サラリーマンのおぢさんが目立つ。会社帰りのそのままの姿で、惣菜を買っている。たぶん、単身赴任で、部屋に帰ってビールで一杯やりながら食べるのだろう。 その人たちの「憩いの場」が駅前や商店街にできないだろうか?ナフコの横に、20人〜30人くらいがご飯を食べたり、ビールを飲んだりできる場所。テレビも各局放映されていて、スポーツ新聞などもある。何より畳のスペースがあるのだ。食べるもの、飲むものは原則持ち込み。夕方7時から12時くらいまで利用できる。 高齢者の「商店街型老人ホーム」のことは、BBSにも書いたし、この下にもヒントがあるが、商店街に高齢者が運営する上記のスペースがあってもおもしろい。 高齢者による「保育」「託児」「惣菜の代行買い」「エリアの巡回」「高齢者介護のサポート」に加えて、単身赴任のサラリーマンとのジョイントもおもしろい。そのスペースに行政だけではなく、会社の福利厚生予算が使えるようにできないだろうか。 1999/08/25 タクシーの活用。 救急車に救急救命士が乗るようになった。それでも、事故にあったり、病気になったときは、1秒でも早い対応が望まれる。 そこでタクシーの活用なのだけど、タクシーに「救急セット」のようなものを常時搭載したらどうだろう。タクシーは24時間営業しているし、いたるところを走っている。救急車よりも現場に早くいけるケースもあるはずだ。 事故にあった場合、事故にあったことへの不安、けがをしたことへの不安が大きい。実際、けがをした場合、救急車が来るまでけがをしている人に「声をかけつづける」ことがとても重要なのだ。ゆえに、1秒でも早く「救急セット」が届き、何かしら安心できたらと思う。 そこから発展すれば、タクシーの運転手が「救急救命士」の資格を取得してもいいし、もう1ランク下に、簡単な応急処置ができる(医療行為に近いもの)資格を新たに設置してもいい。 あるいは、「救急セット」以外にも災害に対応できるセットを常備したタクシーがあってもいいのではないかと思う。 1999/08/24 いま、リナックスをベースとしたまったく新しいインターネット用のインターフェイスを開発している。まあ、それは東京のスタッフと一緒にやっているんだけれど、その応用で高齢者向けの「キーボードを使わない」インターネット用のインターフェイスを開発している。 それで、実際に高齢者にインターネットが必要なのか(こちらは絶対におもしろいし、役に立つと確信して開発しているのだけれど)、長年に渡り老人ホームの建設や、高齢者福祉に携わってこられたエキスパートの方にお話を聞く機会があった。 簡単にシステムを説明すると、開口一番「年寄りはインターネットなんか誰もやりませんよ」だった。「必要ないし、やろうと思う年寄りなんてゼロです」と言われた。 長年、高齢者に接し、高齢者のための住宅や設備をつくってこられたそのエキスパートの方は、「もっと実際に年寄りの話を聞いてからにしなさい」と言われ、「そうすれば、年寄りが何もする気がないし、10人いれば10人勝手なことを言うし、インターネットなんてやろうという人間はいませんよ」と強調された。 「年寄りとつきあうには、何も考えないこと」「いくつかの選択肢を用意して、選ばせて、それに従うこと。年寄りのことなんて、わからないでしょう。だから望むことをやってあげればいいんですよ」と話を続けられた。 高齢者にはインターネットは必要ないのか? 高齢者は、ほんとうに何もやる気がないのか? サンプルが少ないかもしれないが、少なくとも今回の高齢者用のインターネットツールを考案するにあたって、何人かのお年寄りの現状を実際に見た。70歳を超えているが、彼らは働く意志を持っていたし、他人とのコミュニケーションを望んでいた。 しかし、エキスパートの方によると、それは「特殊な老人」だそうだ。多くは働く意志もなく、身内以外のコミュニケーションなんて必要としないという。 だとしたら、高齢者の世界はなんてつまらないんだろう!仕事をリタイアして、まだ10年や20年は生きる。その長い時間は、ひたすら「老い」と「死」を待つだけなのか? 今回、なぜ高齢者向けの「キーボードを使わない」インターネットを考案したかというと、高齢者にもインターネットに参加してもらいたかったからだ。 同じ趣味の人とのコミュニケーション、カメラを使ったテレビ電話によって保育園や小学校と結びこどもたちとの会話を楽しんでもらいたい。そう、思った。ところが、「年寄りは孫ならいざしらず、見ず知らずのこどもと話したいなんて思わないですよ」とのエキスパート氏の返答だった。 ほんとうにそうなのか?北海道と九州のお年寄り同士の「ねるとん」なんて、わくわくするのだけれど、当の高齢者は、そんなことしたいと思わないのだろうか。 介護福祉がいよいよスタートする。介護を数値化し、値段をつける。保険で「国」が「介護してあげる」構図だ。 確かに介護が必要なお年寄りの介護はたいへんな労力を必要とし、家族に過大な負担をかける。それを代行するシステムがあれば、どんなにありがたいか。それは、理解できる。 しかし、歳をとってからの世界は、そんなにつまらないものなのか。もっと楽しい世界があってもいいのではないか。いちばん大切なコミュニケーションを助けるシステムがあってもおもしろいじゃないか。 エキスパート氏いわく「寝たきり老人」や「ひとり暮らしの老人」を自動的に監視するカメラシステムなら行政が予算をくれるかもしれない、との結論。それも正解だと思う。 しかし、いまのお年寄りにもインターネットをやってほしい。ホームページをつくってほしい。CUseeMeなりで会話をしてほしい。 仕事をリタイアして、お金のある高齢者は、保養地に自分が好きなように設計した別荘のような老人ホームを買い、そこに住むのだそうだ。 しかし、周囲は老人しかいない。老人のコミュニティなのだそうだ。家族は1年に1回来るか、来ないか。 それで幸せなんだろうか。貧乏でも、世間に囲まれ、家族に囲まれ、近所に囲まれた生活のほうが幸せなのではないのか? 介護保険にともなう介護福祉が始まる。便利だし、それで救われる家族も多いことだろう。 でも、そんなシステムは楽しくない。隔離されたシステムの中で、お金に換算された老後を過ごしたくはない。 そうならないように、いまから楽しめる老後の世界をつくりたいと思った。 1999/08/16 キャンプ禁止区域でキャンプをやっていたグループが、大雨による増水で流された。行方不明は10名以上になった。 川の中州でのキャンプは、危険だ。今回も、再三にわたり警察などが警告して、それを無視してのキャンプ続行が被害につながった。 人の命は重い。だからこそ、消防の人や自衛隊が必死に捜索してくれている。ルール違反をしても、人命は重い。 今回の報道を見て、自分の中に何か釈然としない気持ちがある。事件を聞いて、駆けつけたという行方不明者の知人なる人が、消防の人に「早く助けてくれ」というようなことを厳しい口調で言い寄っていた。 まず、お詫びするのが先ではないのか。「早く探してくれ!」じゃなくて、「たいへんですが、探してください」じゃないのか。 1999/08/11 進化は拡散。マジョリティとマイノリティの行方を想像する。 生物の進化は、確実に拡散であると思う。「多様性」という言葉にも置き換えられる。しかもその方向は、直線ではなく、ゆるやかにフラクタルだ。 人類の進化もまた、フラクタルに拡散する方向で進んでいるとしたら、マイノリティこそが進化の先端ではないか。マジョリティは停滞であり、進化の方向に逆行するものである。 言葉で説明するのが難しいが、マジョリティに埋没するよりも、進化したマイノリティすなわち「個性」を重んじることこそ、いまの人類に必要なことではないか。 1999/08/11 この国の「根っこ」はどこにあるのか。 国歌・国旗法案が、国民不在のまま決まってしまった。今度は盗聴法案?TVでは、みっともない国会審議の様子がレポートされていた。学級崩壊も、若い子たちのボーダーレス化(恥を知らない世代)も、昭和から平成になって、一気に加速された。 この国の根っこはどこにあるのか。以前、韓国に関する書籍が話題になって、韓国の国民の根っこのひとつは「恨」または「怨」(もっとふさわしい漢字があると思うが、このワードではこれしか出ない)であるみたいなことが書かれていた。それに習うと、日本は「恥」ではないか。 均質を求める社会。学歴社会も、近所と比較して「恥」でないポジションを望むことで説明できる気がする。ところが、その「恥」の価値観が加速度的に崩壊している。ジベタリアン、フリーターなどなど。フリーターなんて、以前は学校卒業して、無職でいたら親が嘆いたものだ。いまは、無職も恥ることはない。 この国の「根っこ」はどこにあるのか。戦争が終わって、54年経った。敗戦と原爆のトラウマを引きずって、高度成長を経験して、さて「どこに立っている」のか。 1999/08/02 インターネットの可能性。 以前、雑誌の編集をやっていたとき、テレコミ業界(伝言ダイヤルとかテレクラとか)の人に話を聞いたことがある。確かにテレコミは、売春などにも利用されているし、犯罪も誘発している。 しかし、この仕組みを利用して、人間関係をつくっている人々も少なくないことを、実例をあげて思い知った。例えば、看護婦さんとか業務時間が不規則で、異性との出会いが少ない人たち。日常の生活にストレスをためて、そのはけ口を求めている人たち。 テレコミを利用すると、普通に生活していたのでは、絶対に会うことがない人に巡り合うことができる。可能性を提供する仕組みなのだ。 同じことが、インターネットにも言える。テレコミは「声」だけを頼りに人間関係を探していくが、インターネットは文字も写真も、プログラムが操作できれば動画や音声も伝えられる。 自分のメディアが持てることのすごさを実感できるのがインターネットだ。HP(ホームページ)に自分の言いたいことや趣味や考えをアップすると、いままで不可能だった人間関係ができる。 そのメリット、デメリットは、後日紹介するとして、HP(自分のメディア)を持つことのいろいろな可能性をぜひ実感してもらいたい。 1999/07/26 企業の人材活用の限界。 仕事柄、人事の方と話す機会も多く、学生に関する情報には事欠かない。また、以前に人材活用のコンサルと実際の採用業務をやっていた関係で、いまどきの高校生や大学生の知り合いがたくさんいる。 人事の方の一様な意見として、いまの新卒は受け答えはうまいものの、つっこんで話をすると、あまりに自分の夢を持っていないことや会社に入って何をやりたいのかがあいまいなことに驚くのだそうだ。 話は変わるが、高校を卒業して、大学に入って、4年間みっちり勉強したとする。4年で習得できることには限界がある。そこで、さらに見聞を広げたいとか、勉強をしたいとか、世界を見てみたいとかの願望をもって、日本を脱出したとする。 留学でもいいし、放浪でもいい。自分が納得する「何か」を経験したとき、現実問題として、否応無しに年齢が一般の「新卒」よりも高くなる。30歳前後が平均か? そうした人材を企業は、新卒並みに採用できるだろうか?あるいは中途採用できるだろうか。現状は「否」である。新卒には、企業の社内規定で24歳までとか決まっているし、中途採用では「キャリア=前職での経験」がないという理由で「不可」となる。 残念ながら、いまの多くの企業の人事担当のキャパシティでは、これらの「世界体験組」を採用する「尺度」がない。 |